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Channel: 桑の木窯・赤城山のうっさん陶芸工房
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当時の日本軍は規律を守っていたしマナーも優れていた(ヘンリー・スコット・ストークス)

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第二次世界大戦に日本が参戦することになって、アジアの各植民地で戦闘が始まったが、
日本軍の強大な力は、私の祖国の英国軍を圧倒した。
英国人にとって最も衝撃的だったのは、大英帝国海軍が誇る二隻の戦艦、「プリンス・オブ・
ウェールズ」と「レパルス」が、日本の航空機の魚雷攻撃でたった4時間で沈没した事件だった。

日本人を「イエローモンキー」(黄色い猿)と言い、人種差別主義的な性向を持っていたチャー
チル首相は、若い年齢で海軍長官に就任していたし、海軍こそが英国の誇りだと強調してきた。
ところが、数時間の戦闘で壊滅したのである。
西洋人が有色人種の力を体感して恐怖を感じた最初の瞬間である。

当時英国軍は、日本人の飛行機操縦能力はレベル以下だと判断していた。
しかし日本の戦闘機が鋭い角度で飛び、あまりにも正確に魚雷を投下して英国の戦艦に命中させて
いることに驚き、「ドイツ(当時日本の同盟国)のパイロットが乗っているのではないか?」と
疑うほどだった。

日本帝国海軍はモラル(精神)の状態が非常に高く、統率が体系的に行われていた。
私の著書「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」で指摘したように、「日本軍は残酷で野蛮だ」
というイメージは、戦勝国が自分たちの意図する方向へと、「東京裁判」などを介して行われた
空しいイメージだ。
事実(Fact)を言えば、当時の日本軍は規律を守っていたしマナーも優れていた。

私は若い頃から英国で軍事教練の授業を受けてきたので、軍隊というものの本質をよく知っている。
ジャーナリストとして第2次世界大戦終戦後、複数回日本の横須賀海軍基地などで海上自衛隊を
取材してきたが、隊員たちはかなり礼儀正しく、規範を非常に重視していた。
彼らは日本帝国海軍の伝統をそのまま継承しているという感じである。

アジアへの日本軍の侵攻は、植民地状態だったアジア諸国を、米国と欧州の帝国主義から解放し、
独立させるための活動だった。 この過程で日本軍が果たした役割は大きい。
植民地の人々に軍事訓練と教育を実施し、体系的な統率を通じて、彼らが独立できるよう導いた。
こういった日本の発想は、当時米国とヨーロッパ帝国主義諸国には全くなかった発想だった。

「日本軍がアジアを占領するために暴走した」というふうに知られているが、実際には間違っている
ということを象徴的に示しているのが、まさに英国の支配下にあったインドの国民軍司令官
「チャンドラ・ボース」が1943年に日本を訪問した際にした言及である。

「チャンドラ・ボース」はそこで「日本がアジアにいることが希望の光である」と明らかにした。
「チャンドラ」は、日本軍がインドの独立のために千載一遇のチャンスを与えてくれたことに感謝した。
「チャンドラ・ボース」のこのような日本に向けた考えは、シンガポールやビルマなど、アジア諸国が
共通して持っていると考える。

日本軍がマレー半島に進撃すると、英国軍は降伏し、シンガポールが陥落した。
英国だけでなく、オランダをはじめとする西洋の帝国軍は日本に負けてしまった。
戦後の「東京裁判」は、連合国が感じた屈辱の仕返しをする場となり、西洋帝国主義からアジアの解放を
目標にした日本の軍人は、戦勝国(連合国)側の論理により、容赦なく「戦犯」として裁判に処された。

その後日本の戦後教育で、「日本はなぜ戦うしかなかったのか?」「戦争で日本軍が収めた成果は何だったのか?」
などについて取り上げることがタブー視された。
そのため今日の日本人は、当時の日本軍の功績をほぼ知らない状態だ。


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