平成30年7月20日の未明に
飯山一郎先生が急性心不全にて永眠されました
享年72歳でした
飯山一郎先生は以前にも心筋梗塞で入院されたことがあり
飯山一郎先生は以前にも心筋梗塞で入院されたことがあり
今回は三回目の発作でした
2005年に心臓発作で倒れた時は生死の境を彷徨いましたが
2005年に心臓発作で倒れた時は生死の境を彷徨いましたが
病を強い意志で克服してきた13年間でした
7月23日
7月23日
ご遺族のご意向により家族葬にて葬儀がしめやかに執り行われました
ファンの皆様からのご要望により
ファンの皆様からのご要望により
「飯山一郎先生を偲ぶ会」の開催を検討しております
場所や時間などの詳細は後日改めて発表させていただきますのでご了承ください
皆さまのご理解とこれまでのご支援に
場所や時間などの詳細は後日改めて発表させていただきますのでご了承ください
皆さまのご理解とこれまでのご支援に
心より深く感謝を申し上げます
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921:明石原人:
2:メンテ部長:飯山一郎:2018/04/19
新スレ立ち上げたぞ.
好き放題、勝手放題、何でも書いたらよろし!>阿呆ども
あ、♯2ゲット!www
懐かしい!!
自灯明と法灯明。
現代の仏教指導者は、自灯明を全く理解していない。
どの仏教指導者も、自灯明をこう説く。
自分をしっかり持って頑張りなさいと。
違います。
飯山兄が、わたしのブログを読んで、甲田療法を推奨してくださいました。
2011年よりもっと前の話です。
その甲田先生がいつものように楽しい笑いの中で
健康のお話を皆さんの前でされたあとのこと。
あるおばちゃん(患者さん)が、不安げに尋ねました。
「先生がお亡くなりになったら、私ら誰を頼りに生きていったら
いいんですか。」
甲田先生がおっしゃられました。
「それは、自灯明・法灯明に頼ったらいいんや。」
「自灯明は自分の体に頼ること、自分で気持ちがいいなと思うことを
お灯明にするんやな。」「気持ちがいいと思えることは、自分しかわからんやろ。」
「それをお灯明にするんや。」
「そして時々、私がしゃべったこと・健康の本を読んでそれを取り入れたらよい。」
「それが法灯明やな、ええかな。」
不安げな顔をしていたおばちゃんがほっと安心した顔になりました。
不安になっている患者さんに
「自分をしっかり持ちなさい。がんばりなさい。」なんて
訓示を垂れたら、余計に不安になる。
自分の体については、誰よりも自分が一番知っている。
それを灯明にする。誰にでもできる。
飯山兄がなくなった今、やはり自灯明・法灯明。
納得することは、自分しかできない。
思い上がったり、不遜にならず、
自分に納得できることを灯明にすればよい。
そして、飯山兄が残した楽しい膨大な「てげてげ」を法灯明にすれば、
道は自ずと開ける。
そんな気持ちで、飯山兄を偲ぶ。
しかし、しばらくは、なかなかそうは、いかない。
でも、みんなで花を咲かそう。
「てげてげ」で種は、まかれた。・・・法灯明
乳酸菌、断食、太陽凝視、ぽんぽこ笑店。・・・法灯明
納得する。・・・自灯明
まき方、やりかた、試行錯誤・・・自灯明
花が咲く。
みんなで鑑賞しあう。知識・技術の交流。
2018/07/25 (Wed) 05:29:02
host:*.zaq.ne.jp 2:メンテ部長:飯山一郎:2018/04/19
新スレ立ち上げたぞ.
好き放題、勝手放題、何でも書いたらよろし!>阿呆ども
あ、♯2ゲット!www
懐かしい!!
自灯明と法灯明。
現代の仏教指導者は、自灯明を全く理解していない。
どの仏教指導者も、自灯明をこう説く。
自分をしっかり持って頑張りなさいと。
違います。
飯山兄が、わたしのブログを読んで、甲田療法を推奨してくださいました。
2011年よりもっと前の話です。
その甲田先生がいつものように楽しい笑いの中で
健康のお話を皆さんの前でされたあとのこと。
あるおばちゃん(患者さん)が、不安げに尋ねました。
「先生がお亡くなりになったら、私ら誰を頼りに生きていったら
いいんですか。」
甲田先生がおっしゃられました。
「それは、自灯明・法灯明に頼ったらいいんや。」
「自灯明は自分の体に頼ること、自分で気持ちがいいなと思うことを
お灯明にするんやな。」「気持ちがいいと思えることは、自分しかわからんやろ。」
「それをお灯明にするんや。」
「そして時々、私がしゃべったこと・健康の本を読んでそれを取り入れたらよい。」
「それが法灯明やな、ええかな。」
不安げな顔をしていたおばちゃんがほっと安心した顔になりました。
不安になっている患者さんに
「自分をしっかり持ちなさい。がんばりなさい。」なんて
訓示を垂れたら、余計に不安になる。
自分の体については、誰よりも自分が一番知っている。
それを灯明にする。誰にでもできる。
飯山兄がなくなった今、やはり自灯明・法灯明。
納得することは、自分しかできない。
思い上がったり、不遜にならず、
自分に納得できることを灯明にすればよい。
そして、飯山兄が残した楽しい膨大な「てげてげ」を法灯明にすれば、
道は自ずと開ける。
そんな気持ちで、飯山兄を偲ぶ。
しかし、しばらくは、なかなかそうは、いかない。
でも、みんなで花を咲かそう。
「てげてげ」で種は、まかれた。・・・法灯明
乳酸菌、断食、太陽凝視、ぽんぽこ笑店。・・・法灯明
納得する。・・・自灯明
まき方、やりかた、試行錯誤・・・自灯明
花が咲く。
みんなで鑑賞しあう。知識・技術の交流。
- 104:堺のおっさん:2018/07/25 (Wed) 21:26:52host:*.ocn.ne.jp
本スレに投稿しようと思いましたが、
遺言めいた内容でもあったので当スレに投稿します。
ダムの放流で洪水が起きた件について、飯山氏と喧々諤々小一時間の討論。
安全が当たり前と思っている年寄りが、行政の必死の戸別訪問にも応じず
水死したのは何ら行政の責任ではないという飯山氏。
私は高知の馬路村では見事に放流をセンチ単位でコントロールし最悪を免れたと。
自己責任と、行政責任で平行線になったのですが、最後は意外な結論に。
これは国の政策に影響力を持つ人間にこそ読んでもらいたい内容なのですが、
実は今の日本には国土強靭化の最良の資源が眠っていると。
それは良質の川砂である。
川砂の採取が禁止されて以降の建築物の脆弱性はあまり知られていない。
コンクリートの強度がどうしても弱い。
戦前に、日本が建設した北朝鮮のダムは朝鮮戦争時に、米軍の爆撃にも耐え、
いまだに北朝鮮の重要な電力減となっている。
このダムは当時ウランの濃縮に必要な膨大な電力が必要なため建設された。
そして、いまだバリバリの現役なのである。
要するに、コンクリートの質を決定する砂利が良質であったということだ。
川砂の採取が禁止されて以降、日本の河川の多くがいわゆる天井川化。
ダムも底が土砂で埋まり放題。本来の貯水量を確保できないほど埋まり始めた。
したがって、幾らスパー堤防化しても浅い天井川では結局洪水が起きる。
川を深くし、ダムを浚え、貯水量の大幅な増加を施す必要が起こっている。
ところが、川砂の採取が禁止されているためにそれができない。
洪水防止の方法は更なる堤防のかさ上げということになる。
川砂を再度採取し、強いコンクリートの資材化を行う。
まさに一石二鳥の国土強靭化ができる資源が日本には眠っているのだ。
石破が防災省を作れなどとポピュリズム的なことを言ってるが、
PBバランスの財政論しか持たない財務省の手ごまに
本当の壮大な国土強靭化などできるはずもないだろう!
こうしたブレイクスルーが飛び出るラインでの意見交換は
本当に楽しかったです。
治水は政治の根幹。真剣に考えてもらいたいものです。
99:堺のおっさん:
>>96福井のいなだ様
ごもっともなご質問というか…。
結論から言いますと、西洋医学の救急蘇生法が
生命維持をできる状況ではなかった。
故飯山氏の最後の言葉は、薄れいく意識の中で発された。
「救急車は絶対に呼ぶな!」
この命令に反して救急車を呼び、
一通りの措置を施していただいたのですが、
結果は蘇生に至りませんでした。
一時間に及ぶ心臓マッサージなど、
お医者様は手を尽くされた。
故飯山一郎氏はすべての西洋医学を否定はしていません。
しかし、最後の「救急車は絶対呼ぶな!」という命令は、
自分の最後は自分で決めるという意味も込められていたんだなと。
つまり、自分の体は自分が一番よく知ってるよ。
3回目はほぼダメだろう。
その時期を自身でコントロールすることはできないが、
それが起こってしまった以上、潔く受け入れるしかない。
そうした、命令であったと思います。
最後の最後まで、自身の生き方に忠実であったと思います。
翌午後、ご子息が駆けつけてくださり…
「13年もよく生き延びた。奇跡です。」
「非常識な健康法を実践したことも決して間違っていなかったと思う」
「父らしい生き方であったと、むしろ志布志の皆様に感謝したいくらいです」
こう言葉をかけていただき、何もできない無力感に沈み切っていた
居合わせた数少ないメンバーもすくわれた気持ちでいっぱいになりました。
我々は、自身の最後を見事に自身で理解し、
じたばたするな! どうしようもないことも世の中にはあるんだ!
それはそれで受け入れろ! これが鷲の最後のメッセージだ!
ああすればよかったのかもしれない、前兆はなかったのか、
最近無理しすぎていたし、止めればよかった…など等。
後悔とも、反省とも、言いようのない割り切れない感情に
沈み切っていたのですが、
結局、故飯山一郎氏の判断を尊重することが正しかったと思います。
しかし、現実の現場ではそれは許されません。
命令に反し救急車を呼び病院に搬送したのですが、
処置の甲斐なく、結局ご本人の判断通りになったのです。
心臓の機能が弱いため、(普段は軽く心臓に持病があるんだ、ハハハと)
第二の心臓と言われる下半身、特にふくらはぎを鍛えたり、
血流に人一倍気を使ったりした理由はお分かりになると思います。
そして、自身の最後を見事に自身で判断しきった!
見事であったと…。
ただ、その時期だけは人知の及ぶ範囲ではなかった。
まだまだやりたかったことも山ほどあったと思いますが、
それよりも大事なことを最後に実践されたのだ。
そのように私は思い至り、改めてすごい人物であったなと。
眠るような表情のなきがらを見ながらしみじみと感じ入りました。
あっぱれ、飯山一郎!
2018/07/25 (Wed) 20:01:41
host:*.ocn.ne.jp >>96福井のいなだ様
ごもっともなご質問というか…。
結論から言いますと、西洋医学の救急蘇生法が
生命維持をできる状況ではなかった。
故飯山氏の最後の言葉は、薄れいく意識の中で発された。
「救急車は絶対に呼ぶな!」
この命令に反して救急車を呼び、
一通りの措置を施していただいたのですが、
結果は蘇生に至りませんでした。
一時間に及ぶ心臓マッサージなど、
お医者様は手を尽くされた。
故飯山一郎氏はすべての西洋医学を否定はしていません。
しかし、最後の「救急車は絶対呼ぶな!」という命令は、
自分の最後は自分で決めるという意味も込められていたんだなと。
つまり、自分の体は自分が一番よく知ってるよ。
3回目はほぼダメだろう。
その時期を自身でコントロールすることはできないが、
それが起こってしまった以上、潔く受け入れるしかない。
そうした、命令であったと思います。
最後の最後まで、自身の生き方に忠実であったと思います。
翌午後、ご子息が駆けつけてくださり…
「13年もよく生き延びた。奇跡です。」
「非常識な健康法を実践したことも決して間違っていなかったと思う」
「父らしい生き方であったと、むしろ志布志の皆様に感謝したいくらいです」
こう言葉をかけていただき、何もできない無力感に沈み切っていた
居合わせた数少ないメンバーもすくわれた気持ちでいっぱいになりました。
我々は、自身の最後を見事に自身で理解し、
じたばたするな! どうしようもないことも世の中にはあるんだ!
それはそれで受け入れろ! これが鷲の最後のメッセージだ!
ああすればよかったのかもしれない、前兆はなかったのか、
最近無理しすぎていたし、止めればよかった…など等。
後悔とも、反省とも、言いようのない割り切れない感情に
沈み切っていたのですが、
結局、故飯山一郎氏の判断を尊重することが正しかったと思います。
しかし、現実の現場ではそれは許されません。
命令に反し救急車を呼び病院に搬送したのですが、
処置の甲斐なく、結局ご本人の判断通りになったのです。
心臓の機能が弱いため、(普段は軽く心臓に持病があるんだ、ハハハと)
第二の心臓と言われる下半身、特にふくらはぎを鍛えたり、
血流に人一倍気を使ったりした理由はお分かりになると思います。
そして、自身の最後を見事に自身で判断しきった!
見事であったと…。
ただ、その時期だけは人知の及ぶ範囲ではなかった。
まだまだやりたかったことも山ほどあったと思いますが、
それよりも大事なことを最後に実践されたのだ。
そのように私は思い至り、改めてすごい人物であったなと。
眠るような表情のなきがらを見ながらしみじみと感じ入りました。
あっぱれ、飯山一郎!
- 107:堺のおっさん:2018/07/25 (Wed) 23:20:22host:*.ocn.ne.jp
もう一つ、遺言めいたことをお伝えしたい。
飯山一郎氏の最後の講義は、志布志の横瀬古墳の脇であった。
氏はこう言い放った。
「文明は忽然と現れる!」
歴史によれば文明の滅亡の原因は割と解き明かされている。
それはエネルギーの枯渇であったり、自然環境の大変化であったり。
一方、文明の発生はあまり解き明かされたとは言えないだろう。
従来考えられてきた古墳文明(文化)は近畿圏で発生し、
やがて全国に伝播していったと考えられてきた。
その定説は今、覆されつつある。
河内王朝の古墳群よりも古い時代に志布志において
すでに、前方後円墳が造営されていたのだ。
それも、なぜか当時の海岸線に近い立地に造営されている。
砂地に1000年以上も崩れない盛り土を施し、巨大な造営物を土木する。
河内王朝の応神・仁徳陵も当時は海岸線に近い所に作られている。
明らかにこの共通項から推測するに志布志と河内王朝は同じ文明圏に属する。
それが、まさに忽然と現れたのだ。
文明は忽然と現れる。これは歴史学のテーゼになる。
人類は一つの文明を何かの技術的革新によってまさに忽然と生み出す。
今文明の転換が言われるが、それには革新的技術と
それを受け入れる人々の生き方、そしてそれを基本とした国家が必要となる。
乳酸菌をベースとした発酵文明はこれまでの消費文明を転換した文明となる。
いずれ、新しい文明を基本とした国家群が忽然と現れるのだ。
飯山氏は言葉を大切にした。私は、氏の使う言葉に時々はっとさせられたが…
文明は忽然と現れるという表現には深い意味を感じざるを得なかった。
次代の乳酸菌文明もまた、忽然と現れるのである。
革新的技術を伴って。それは言う名でもなく…
グルンバという有機物の超微細化技術である。
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